あの経営計画書を見て感じた時代の変化

 ここ数日、大手中古自動車販売会社のニュースがテレビやインターネットで大々的に報道されています。最初は保険金の不正受給という内容だったと思うのですが、いつの間にか経営計画書の内容が批判的に焦点になっています。

 あの黒い革に社外㊙と書かれた手帳大の経営計画書を久々にテレビで目にしました。経営や財務労務コンサルタントを仕事としている相当数の人は、目にしたことや勉強したことのあるものでしょう。

 今から十数年前に私が会計事務所勤務していたころ、企業経営にとって一番大切なものは経営計画であり、それを全従業員で実現するための道具が経営計画書であると指導を受け、勉強し、担当するお客様の社長にお勧めし、一緒に作成させていただことを思い出しました。

「経営計画書を作成することは、社長の覚悟を全従業員に示すものです。言葉は口にしたとたん消えていきますが、文字で計画書という形にして表に出したものは残りますから、ごまかせません」、「社長自身が経営計画書通り行動しなければ、『言っていることとやっていることが違う』と社員から批判を受け、会社の成長発展はありません」など、今考えれば「お前はそんなに偉いのか?」と自分で思ってしまうくらいの話をさせていただいたような記憶があります。

 記憶が曖昧なのですが、経営計画書の作成は「糊と鉛筆」と言われていたはずです。この意味は、自分で立派な経営計画書を作成できるようになるまでは尊敬する人や会社、成功した先達の言葉や内容などを借りて(真似して)形を作りなさい、「形から入って心に至る」の言葉通りまず作り、作った後に実践をしながら心を入れていくことで数年後には独自の経営計画書ができあがる、といったものでした。

 今回報道されている経営計画書の内容(視聴者が批判的に受け止めやすいところ)は、その会社の業務内容などに添って少し変形されていますが、本質的な内容はあの手帳大の経営計画書を作成している多くの会社に入っているのではないでしょうか。私はその内容云々を言える立場ではありませんが、作成した社長の多くは、経営計画書を作成してそれを実践すれば会社が必ずよくなると相当の思いを持って勉強し、作成したに違いありません。

 当時であれば当たり前であった内容が今の時代では不当な内容と受け止められ、しかも内容的にいい部分は報道されず、悪いと思われやすい部分だけ取り上げられて批判される……。

 そもそも経営計画書を何故作成したのか?

「全従業員の幸せのため」と思って作成したのなら、世の中や世間一般的な幸せではなく、「社長自身が自分の会社の将来を思い描く全社員の幸せ」を今一度考え、自分の「真の言葉」を使ってその内容を作り直す機会が訪れたのだと私は考えています。