寄付とは何か

「皆さん、寄付の定義は何か知ってますか?」

以前私が勤めていたところのトップが勉強会で私たち社員に出した質問です。

その時のトップの解答があまりに本質をとらえて衝撃的であったのを今でもよく覚えています。

ずばり、「自己満足」です。

寄付という行為は、その行為自体を見れば、「困っている人を助けている」や「世のために役に立つもの」など非常に良いことであるのは間違いありません。

昔の人は「喜捨」と呼んで、進んで寄付をしていたとも聞いたことがあります。

しかし、寄付をする側はなぜ寄付をするのでしょうか?

例えば、駅で「動物虐待をなくすため寄付をお願いします!」という寄付の呼び掛けがあったとします。大概の人はその前を素通りしますが、中にはその寄付の呼びかけをしている人の話を聞いて寄付をする方もいます。

動物虐待は当然あってはならないことですが、その寄付をした方は、現実的にその現場を見てもいない、その寄付を呼び掛けている人が本当に動物虐待をなくすために動いているのかも分からないにもかかわらず、寄付をしているのです。

寄付をした方は、いま動物を飼っているか、かつて飼っていて病気などで亡くした方ではないかと思います。そのような経験から、動物虐待という言葉を聞いて自分の脳にその現場をイメージし、あってはならないことで、助けなければならないと実感し、咄嗟に寄付をしたということではないかと思います。

寄付をした後その方は自分の脳の中で、自分の寄付によって動物虐待が少しでも減っているイメージを抱き、その場を通り過ぎ、その数分後にはその寄付行為自体も忘れてしまっている、そのお金が実際にそのことに使われているかどうかは気にもしていない、などということが当然のように起きているのではないでしょうか

「喜捨」という言葉の「喜」は、「自分を喜ばす」と理解すれば、寄付のし甲斐がさらに増して寄付することが多くなり、世のためになるのではないかと感じています。