「叱る」と「怒る」は違うのか?

「叱る」と「怒る」は違うと著名有名な方々がおっしゃっているのをよく聞きます。

 しかし、「叱る」と「怒る」を分けて定義づけようとする意味が分かりません。要するに、「怒る」は自らの感情なので相手に伝わらないし格好悪い。そこで「叱る」とすれば自分が感情で言っているのではなく「あなたのため」に言っているのだから伝わらないあなたが悪い、と自分を正当化しようとしているとしか思えないのです。

 叱ろうが怒ろうが、こちらの発言を相手がどう捉えるか、相手がどう考えるか、ではありませんか。

 例えば親が子供に「あなたを怒っているのではなく叱っているのです」と言っても、子供本人が怒られていると思えば(ほとんどの子供がそうだと思います)、「叱る」と「怒る」の区別は意味がありません。

 子供は慣れてしまって、親が怒っても言うことを聞かなくなるでしょう。叱っているつもりの親にストレスが溜まるだけです。

 江戸時代の会津藩の日新館では、武士の子供教育を記した「什の掟」で最後に「ならぬことはならぬものです」と締めくくりました。相手がどう捉えるかは関係なく、「ならぬものはならぬ」と言い切ったのです。これが教育の本質(土台)ではないでしょうか。