「座右の銘」より「自分の言葉」で

 私は座右の銘を持っていません。

 例えば、二宮尊徳がいろいろな言葉を残しています。「粗食になれて、しかもそれを不足に思わない時には、為そうとしていることは総てが成就する」などがありますがではあの貧しい時代の生活ができるのかという話です。今の時代、ご飯を食べられない人は世の中にほぼいません。そんな現代で、二宮尊徳の言葉を自分にどう落とし込むのですか。

 また例えば、戦争の時に「贅沢は敵だ」というスローガンがありました。でも、何をもって贅沢というのか、人によって違います。

 だから私は座右の銘などに飛びつかないのです。他人がつくった考え方や言葉は、私には意味が分からないのです。

 それなのに、いろいろな人の言葉を片っ端から持って来て、自分の言葉として話したりする経営者がいます。大前研一さんや稲盛和夫さんらの話をパクってくること自体が経営者としておかしい。自分の腹に落とし込めていないことを話すから、ごっちゃになって筋が通らなくなりますし、浅いのです。

 経営者もその分野のプロではありませんか。「なんで人の言葉で伝えるんだ?」ということです。自分の考えを自分の言葉で表現しないと、伝わりません。